web担当の友岡です。
内容は書くのをすっかり忘れていた椎間板ヘルニアで腰が逝った話の後編です。
前編では救急車で病院へと搬送されるまでをお話ししました。
21時半ごろに腰が痛くなり、なんやかんやあって救急車で病院に搬送されたのは23時ごろです。
病院につくと早速レントゲンとMRI検査を受けることになりました。
ストレッチャーで横になりながら病院内を移動し、レントゲン室に到着。またしても担がれる形でストレッチャー → レントゲンの台座へと移動されます。このとき腰がどうしても曲がるので痛いのなんの(1回目)
そして撮影が終わればまた担がれてレントゲンの台座 → ストレッチャー(2回目)
次はMRI。ここでも担がれてストレッチャー → MRIの台座(3回目)
そして終わればMRI台座 → ストレッチャー(4回目)
その後医者の診察を受け、屈辱&人生初の座薬を投入!異物感凄いしヌルっとして嫌でしたw
30分ほど放置され、痛み止めの座薬が効いてるか医師が確認するためにストレッチャーの上半身をすこーしだけ起こすことに…もちろん大激痛(5回目)
僕「マジで痛いんでゆっくりお願いしm」
(ガコンッ)
僕「いttttttttttttttっつ~!」
医者「座薬も効かないか~、はっは」
なにわろとんねん(# ゚Д゚)
座薬も効かないのならしょうがないってことで入院が決定したのですが、まさかのレントゲン取り直し。
ストレッチャー → レントゲンの台座(6回目)
レントゲンの台座 → ストレッチャー(7回目)
担がれること7回!そのたびに大激痛ですからもう本当に辛かったです…。ちょっと泣きましたw
涙を少し零しながらようやく病院のベッドに移ることができました。(とどめの8回目)
救急隊員に担がれて2階から1階へ降りるときが1番痛かったんですが、そこは僕も覚悟を決めましたし担がれている時間もほんの30秒ぐらいだったはずです。それに痛すぎて最初持ち上げられた瞬間以外はよくわからなかったです。
それとは反対に病院ついてからの繰り返される台座移動では 痛い!→落ち着く→痛い!→落ち着く が繰り返されたので本当に堪えました。
この日はここでおしまいです。
腰は痛かったのですが精魂尽き果てたのですんなり寝付くことが出来ました。本当のピンチは明日訪れる事も知らずに…ね……。
~翌日~
7時ぐらいに目を覚まし、少しでも動くとくっそ痛いことを確認してスマホもないのでただただ天井を眺める無為な時間…。いや、朝に会社に連絡したな?じゃあきっとスマホ弄って暇つぶしてましたねw
看護師さんに朝食を食べさせてもらい、医者の簡単な診察や入院手続きなどを進めていくうちに9時になりました。
現場に行くついでの父親に着替えなどを持ってきてもらい、椎間板ヘルニアっぽい事、数日入院する事などを伝えました。
突発性難聴で入院したときも思ったのですが、元気な病人は暇です。いやまあ全然元気じゃないんですが、動かない限り痛くないわけでして…。ただただ仰向けでスマホを弄る怠惰な時間が過ぎていきます。
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んなわけない。
ここから僕の人生史上最大のピンチが襲ってきました。そうおしっこです。
昨日の21時ごろにおしっこをして立ち上がるときに腰が痛くなり、そのまま搬送→即入院して今のこの状況です。
朝食前に看護師さんが尿瓶を持ってきてくれたのですが、どれだけ尿意があっても寝ながらだと、いざしようとするとまったく出ません。ひゅって引っ込みます。
看護師さんからは「12時間おしっこでないのはマズいので10時すぎたらカテーテルしましょうね」と言われていました。
朝起きて出ず、朝食後も出ず、父親遭遇後も出ず、気づけば昼の11時です。看護師さんから言われたリミットの10時はとうに過ぎてます。10時から11時の1時間、おしっこのことしか考えてません。
腰は本当に痛いです。傍目から見たら微動だにしてなくても、動かそうとしただけで大激痛です。でも…それでもカテーテルの方が嫌だ。本当に嫌だ。
これも火事場の馬鹿力になるんですかね?
カテーテルが嫌だという気持ちが僕を奮い立たし、リクライニングベッドの上半身を少しずつ上げ、ベッドの手すりを力強く掴み、途方もない時間をかけてベッドの淵に座る形をとり、痛みに震える心を抑え込んで慎重に両足で立ち、そして尿瓶へのおしっこに成功しました。
全米が泣きましたよ。
その後は両足で立ってるとこを見られて看護師さんに怒られたり、寝ながら食べるご飯にむせて激痛に悶絶したり、院長診察という漫遊イベントをこなしたり色々ありましたが、それらについては来ることがないであろう次の機会に話します。
なお、番外編の「首も逝って首腰ダブルコルセット【出社編】」もありますが、首コルセットと腰コルセットして出社しただけなのでブログに書く予定はありません。